歴代チャンピオン(UTYJ:1999-2002)
2018年、記念すべき20回目を迎える、競技ヨーヨーの全国大会。今回特別企画といたしまして、前身団体である「UTYJ (United Teams of Yo-Yo Japan)」「JYCC (Japan Yo-Yo Contest Committee)」も含めた、過去19回の歴代日本チャンピオンについて、映像と共に振返ります。
※部門名は当時の名称で掲載
UTYJ:1999年~2002年
JYCC:2003年~2006年
JYYF:2007年~2010年
JYYF:2011年~2014年
JYYF:2015年~2017年
UTYJ (United Teams of Yo-Yo Japan)
ヨーヨー好き、ヨーヨープレイヤーによるイベント・大会の源流として、1998年10月、1999年5月に開催された「富士ヨーヨーフェスティバル」(静岡県御殿場市)があります。
同イベントは、静岡県御殿場市にあったおもちゃ屋さん「御殿場ピノキオ」の店長小野恵二郎さん(日本ヨーヨー連盟 前代表)が主催したヨーヨー好きが集まる交流、ワークショップ型イベントでした。その頃、大企業の販売促進・プロモーションのためのイベント・大会しかない中で、初めて有志による主催で行われた全国規模のイベントでした。
当時の時代背景として、玩具メーカー主催の大会では、トリックの難易度やバリエーションの数から、2Aプレイヤーしかフリースタイルに参加できない・もしくは評価されないという潮流がありました。
しかし、1999年夏のハワイでの世界大会を多くのプレイヤーが経験し、1Aが注目を浴びた事で、これまで注目をされなかった競技会の採点やルールについても注目が集りました。
この流れを受けて、いくつかの共通の信念を持った全国のチームが集まり、「UTYJ(United Teams of Yo-Yo Japan)」を立ち上げました。そして同団体により同年の12月には、愛知県で第1回となる全国大会「UTYJ Yo-Yo Competition vol.01」が開催されました。
<運営母体となった主なチームと担当者>
・愛知:「TEC」三居
・静岡:「SSS」小林氏
・東京:「アザーズ」長谷川氏
・愛知:「チームDSP」moon氏
<大会開催における信念について>
1.プレイヤー達自らの手で主催をすること
→そのためこれまでの大会にはなかった参加費も集めることにしました
2.明確なルールを決めて、自分たちでジャッジし、詳細な結果・得点を発表すること
→当時の大会では上位の順位・結果のみが発表されていました
3.よりよいルールを考え、世界大会へフィードバックを行うこと
4.ブームやプロモーションが終わっても継続できるようにすること
など
1999年「UTYJ Yo-Yo Competition Vol.01」
開催日:1999年12月26日
場所:愛知県岡崎市「愛知青年の家」
・AAA(3A):2ハンドフリースタイルに参加記念すべき第1回大会の結果ですが、1Aは愛知県のチーム「TEC」のメンバー片山選手が、2Aは関東の佐野選手が優勝しました。
1ハンドフリースタイル 片山 雄太選手
2ハンドフリースタイル 佐野 央郎選手
2000年「UTYJ Yo-Yo Competition Vol.02」
開催日:2000年4月2日
場所:愛知県岡崎市「愛知県青年の家」
1999年12月に、小規模ながらも、楽しく満足いく形で終えることができた第一回大会。
その直後の2000年4月4日「ヨーヨーの日」にはまたヨーヨーのプロモーションとして、大会やイベントなどが行われると考えていた運営チームに「イベントは特に何も行われないかもしれない…。」という情報が飛び込んできました。
「ヨーヨーの日」に何もイベントがないのはいけない!という一ヨーヨーファンとしての気持ちだけで、運営チームは第2回大会である「UTYJ Yo-Yo Competition vol.02」の開催を決め、前回以上に多くの競技者・関係者に呼びかけを行いました。
第1回大会の噂が各地に広がっていたこともあり、関西や関東からも多くの競技者が参加。結果、第2回は100人規模の大会となりました。
開催部門も試験的に、レディース、シニア、固定軸、エキスパート(高難易度の規定トリック)などを開催。いろいろトラブルなどありながらも、大会を終えることが出来ました。
競技の結果は、関東から参加してくれたニックネームが「社長」の田村選手が1Aを制覇。愛知の「THP-Japan」メンバーで、「チームTOP」のメンバーとして活躍した高木選手が、安定の技術で優勝しました。
1ハンドフリースタイル 田村 佳之選手
2ハンドフリースタイル 高木 大地選手
2001年「UTYJ Yo-Yo Competition Vol.03 National」
開催日:2001年3月25日
場所:愛知県岡崎市「愛知県青年の家」
第1回、第2回の好評を受け、第3回は名古屋、東京にて初の地区大会を開催。その後に全国大会を開催する運びとなりました。
・地区大会:2000年秋冬に名古屋、東京で開催
・全国大会:2001年3月に愛知県岡崎市にて開催
この頃には本当に全国から選手が集まり、当時すでに世界大会で入賞していた横山選手なども参加するようになりました。また、世界大会の運営組織にも認められ、世界大会決勝へのシードもこの年から発行できるようになりました。
2000年世界大会で、エクストリーム(X)部門(今の3A,4A,5Aをはじめとした、1A,2A以外のスタイルを行う部門)が、新設されたのを受け、JNでもX部門がスタートしました。また、同部門では世界大会と同じ、参加選手がお互いに審査をし合う「ラウンドロビンジャッジ」という方式が採用されました。(現在は廃止)
前年に開催されたシニア、レディース、固定軸部門のほかに、二人一組でフリースタイルをするデュオプレイ部門と、ディアボロフリースタイル部門も開催されました。
A部門:BLACK選手
AA部門:横山 光士選手
X部門: 寺田 真悟選手
DUO部門:仙波 英将/渡邊 剛太ペア
2002年「UTYJ Yo-Yo Competition Vol.04 National」
開催日:2002年3月31日
場所:愛知県岡崎市「愛知県青年の家」
前年同様に、秋冬に名古屋・東京で地区大会を開催し、春に愛知県岡崎で全国大会を開催しました。この頃には多くの参加者がチームという枠からは外れ、「United Teams(チーム連合)」という名称が相応しくない状況となっていました。世界大会にも認められる程の実績を積んでいた運営チームは、このタイミングで運営組織名、大会名を改めることを決め、UTYJは2002年で幕を閉じました。
最後のUTYJには、後に全米チャンピオンにもなるブレント・デリンジャー選手も参加し、大変盛り上がった大会になりました。